#魏志倭人伝 #完全解読 その2 神武天皇と欠史八代の系譜
| AWE:P18800000000000041880000000000010 | |
| Posting date | 2021-12-03 17:03:29 |
| Access Count | 769 |
| AWExion price | 9.846821 |
| Net quantity of sales | 0.000001 |
三国志 魏書倭人条、通称「魏志倭人伝」に記載された人々については で、国名比定に続いて行った。卑弥呼を第七代孝霊天皇の娘の倭迹迹日百襲姫命とし、壹與を第十代崇神天皇の娘の豊鋤入姫とした。
また、後漢書記載の漢倭奴国王や、倭国王帥升についても、それぞれ神武天皇、および孝昭天皇と比定した。このことから、魏志倭人伝に記載された内容と、記紀などにある天皇家や豪族の系譜との対応、及び、魏志倭人伝記載の国名とそれに対応する記紀などに記載された国造との対応により、古代史の復元が可能ではないかと考えるに至った。
そこで、まず、記紀などに記載された天皇家の系譜、とくに初代神武天皇から、第十代崇神天皇に至るまでの、系譜と諸豪族との姻戚関係にもとづいて、魏志倭人伝記載の内容を解読していく。
また、文中の国造などの語彙は、実際には6世紀以降のものとされているようだが、成務天皇の時代(4世紀半ばから後半 古墳時代前期後半)にはヤマト政権から、連合する地域の長に対してなんらかの称号が与えられていたと考えられ(たとえば升=襲など)、それらが、後の時代に県主、国造などと呼ばれるようになったと想定している。
詳しくは、続きのページにて。
当タイトルは、画像もふくめて、多くをWikipedia の当該ページから引用している。
また、地図については、GoogleMapの地形図をもとに作成した。